2005年11月25日

ヤップ島旅日記・4

9月20日
タロイモ。それはバナナよりもココナツよりも、わたしにとってずっと異国を感じさせてくれる響きだった。南の島の主なる食べ物であるタロイモ。出発前から、実はタロイモとの出会いを一番楽しみにしていたのかもしれない。滞在していたお家にももちろんタロ畑があって、お母さんは毎日そこへ働きに行っているんだそう。タロイモがどんなものなのか、どんな作業をするのか見てみたくて、わたしはお母さんの仕事にくっついていくことにした。
ジャングルの中、沼地のようなところにお母さんのタロイモは育っていた。お母さんはナタを持って、ジャングルの奥へ入っていく。倒れた木や生い茂った草を、ナタですぱすぱと鮮やかに切り払いはがら、奥へ。

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サトイモの葉っぱに似ているのは、やはり同じイモ類だから?
ずぶり、ずぶり、とお母さんは沼の中へ入っていった。わたしもお手伝いがしたかったので、靴を脱いで入ってみようとしたけれど、お母さんに止められてしまった。「お前の肌は弱くて柔らかいから、やめておきなさい」。何の役にも立てない自分自身がとても情けなかった。でも、確かにお母さんの言うとおりなのだ。かっこわるいな、わたし。わたしって、何もできないんだ。少しでも役に立ちたくて、お母さんが畑からぽいっと投げるタロイモを、葉っぱにくるんだ。

お母さんはジャングルの中、いつの間にやらサンダルを脱いで、裸足ですたすた歩きまわっていた。尖った石があって、木の根っこがごつごつしていて、いろんな草が生えて、ヤドカリやカニのたくさん潜む、そんなジャングルを。タロイモ畑にもいろんな虫がいた。タロの葉っぱには大勢の蟻がはいまわっていた。すべて、ものともしないお母さん。涼しげな顔して、ひょいひょいこなす。
かっこいいなあ。たしかに、お母さんの肌は黒く日焼けているし、手の皮も足の皮も、とっても分厚い。でもそれが人間の生きる姿なんだと思う。力強くて、生命力にあふれた姿。何にだって負けないくらい、魅力的。どうしてわたしの手の平はこんなに薄っぺらでなめらかなんだろう。当たり前。自分の力は何にも使わない、楽ちんな現代生活を送っているんだもの。真っ白な肌には皺ひとつない、そんな姿のまま年を重ねていきたいとは思わない。年相応のものを肌に刻みこんで生きていきたい。人生の経験や苦労や喜びをしっかり刻み込んだ皺、何だってこなせる分厚い手、そして何より生きる術をしっかり持った、笑顔のやさしいおばあちゃんになりたいのだ。

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ジャングルをすたすた歩くお母さん。わたしたちのために、パパイヤを探してくれた。ヤップの土地はほとんどが島民の私有地で、外部の人間が勝手に立ち入ることは許されない。ジャングルにいくらバナナがなっていようがココナツがなっていようが、それらはあくまで生えている土地の所有者のものなので、勝手に取ってはいけないのだ。なかなか見つからないパパイヤ。ヤップは熱帯だけど、果物の種類はとても少ない。バナナ、ココナツ、それくらい。戦時中は日本軍がパイナップルを育てていたそうだけど、めんどくさがりなヤップ人たちは、戦争が終わるとすぐに枯らしてしまったそうだ。なんだか納得、で笑ってしまう。ようやく見つけたパパイヤを、わたしたちは大切に家まで持ち帰った。

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ジャングルには、おもしろいものがたくさんあった。真っ赤な花が咲いていた。ヤドカリが水もないのに歩きまわっていた。にぎやかな鳥の声が聴こえた。大きなカニがいた。どれもこれもが鮮やかで、きっと一生忘れないんだと思う。お母さんが道端のツタのような葉っぱをちぎって、ささっとレイをつくった。頭にのせてにっこり。とってもチャーミング!おしゃれごころをいつまでも忘れない、こんなかわいいおばあちゃんになりたいな。

ヤップの家庭に無造作においてある、カゴが気になっていた。手作りなんだろうとはわかっていたけれど、お母さんから作り方を教えてあげよう、と言ってもらったときの、あの感動。カゴの材料はバナナの葉っぱだった。ジャングルから無造作に、バナナの葉をすぱっと切り取る。それをお母さんがちょこちょこっと編みこむと・・・

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まるで魔法みたい!すいすいーっと、お家で見たあのカゴが形づくられていくのだ。

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わたしも作り方を教わる。思ったより難しくて、なかなか上手に編みこめない。お母さんにケラケラ笑われてしまう。このカゴは収穫したタロイモを持ち帰るためのものなんだそう。生活の知恵。自然の知恵。

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お母さんの手は、魔法の手。「あついよー」と連発していると、にやりとこちらを一瞥、あっという間にうちわをつくってしまった。ぱたぱたあおぐと、熱帯の甘いにおいとバナナの葉の青っぽいにおいが混じりあって、気持ちのいい風を送ってくれた。

のどがかわいたら、家から持ってきたヤシの実をぱかっと割って、中のジュースを飲んだ。前にも一度どこかで、ココナツのジュースを飲んだことがあった。くさくて油っぽくて、とても飲めたものじゃなかった。想像とあまりに違う味に、おっかなびっくり。そんなわけだから、お母さんがヤシの実を取り出したとき、いまいち気が進まなかった。けれどおいしそうに喉をならすお母さんを見ていると、なんだかわたしも挑戦してみたくなった。ひとくち、口に含んでびっくり!なに、このおいしさ。油っぽさはみじんもなくて、ただなめらかに澄んだ甘み。目を丸くするわたしを、また笑うお母さん。ふーん、自然の味ってこうなんだ。なんでも、観光地なんかで売っているヤシの実は採りたてでないし、おいしくない。ちゃんと熟すのを待って、自然に木から落ちてきたヤシの実は、あんなのとは全然ちがう、新鮮さがあるんだって。畑仕事や漁に出るとき、人々はヤシの実をひとつ、携えていく。喉がかわけばジュースになるし、ジュースを飲んだあとの内っかわについた白い実は、空腹を満たしてくれる。とっても便利な南の常備食。豊かだなあ、と思った。こちらに来てからというもの、感心することばっかりだ。

わたしたちが畑で仕事をしているころ、男たちは今日もまた釣りに出ていた。獲物はなんと、サメ!竿をあげてびっくりだったそう。そりゃそうだよな。よくこんなものが釣り上がるもんだ。

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おっかなびっくり、サメの口を開けてみた。閉じているときにはそうでもないのに、めちゃくちゃ大きく開く。がばっと、人間の腕なんてひと呑み、なんだそう。こ、こわい。もちろん、こんな間近にサメを見るのははじめてのことで、本当に興奮してしまった。
サメと、タロイモ。想像よりもずっと淡白だったサメは、とてもおいしかった。歯ごたえがあって、そう、白身の魚と鶏のささ身を掛け合わせたかんじ。お家の人たちは食べなかった。クリスチャンはサメを食べてはいけないとか、何とか。(よくは知らないけど、そんなことを言っていた)
お母さんの育てたタロイモも、すごくおいしかった。サツマイモの甘さを抜いたようなかんじで、もっとぼそぼそしているんだと思いきや、そんなこともなく本当においしかった。おいしい、と伝えると、みんな笑顔で喜んでくれた。そりゃそうだ。お母さんの愛のいっぱい詰まったタロイモなんだもんね。
南の食卓。その日に採れた(獲れた)ものが、その日の食卓に並ぶ。本当の豊かさって、きっとこういうことなんだ。

一日ジャングルにいたわたしの肌は、やっぱりと言うか、虫に刺されてぷくぷく痒くなっていた。
posted by season at 11:59| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
タロイモで検索して参りました。すごい!南の国の素晴らしさに感動しました。
Posted by ジャスリン at 2006年03月22日 23:54
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